前回の松本清張氏の話を書いた後、神保町で古地図を探しました。
江戸時代の浮世絵や古文書を扱っている大屋書房さんで見つけました。お店のご主人に一生懸命探して頂いて明治36年(小説東京帝国大学の時代背景は明治35年です)の東京十五区分図というものです。下の地図が現在の台東区で当時は浅草区と下谷区に分かれていたようです。
地図の一番下が隅田川、中央上部の白く抜けているのが忍ばずの池という位置関係になります。
左側の赤い楕円が現在の浅草橋近辺、右側の楕円が吉原です。
下の地図が、現在の浅草橋近辺を拡大したものです。
地図の下が隅田川。隅田川とほぼ平行に走っている大きな通りが現在の江戸通りです。
福井町となっているのが現在の浅草橋、茅町となっているあたりは現在の柳橋です。小説では、茅町で牛鍋を食べて、ぶらぶら歩いて人力車に乗ったということに成っています。現在の柳橋を茅町と呼んでいたのもこの地図で初めて知りました。
カネダ株式会社は、この地図上では新福井町3丁目あたりに位置しています。
きわめて、ローカルな話題でこの辺の地理に詳しくない方には恐縮です。