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油と歴史の話
江戸の豪商井筒屋

江戸は田所町に繁栄をもたらした豪商・井筒屋小野組は,近江の大溝の出身であった。1600年代後半に盛岡に進出し,その後時期は不明だが,江戸に出店した。同族間の共同企業という経営形態を築き,京都に本家の小野善助家(善印井筒屋)を筆頭に助次郎家,又次郎家,鍵屋権右衛門家があり,盛岡にも5つの分家があった。京の井筒屋本店は本家の小野善助家,助次郎家,又次郎家の三家から成り,江戸の出店は,これらの組合店であった。この他,京と大坂にも組合店があった。元禄期(1688〜1703年)には,糸割符商人と同時に金銀為替御用に任じられ,井筒屋は本両替商を営んでいた。江戸時代においては,油問屋などでも規模の大きな店では,両替商を兼業するのが一般的であった。嘉永期(1848〜1853年)に作成された『諸問屋名前帳』においては,井筒屋善次郎の名前が,下り水油問屋,小間物問屋,本両替屋,繰綿問屋の四箇所に登場している。田所町の目抜き通りを含む町の約三分の一近くの土地を所有していたという。井筒屋の髪油は,「井善の油」と呼ばれて名高かった。井筒屋は,大坂城や二条城から江戸へ送る年貢の代銀を預かり,同額面の為替を江戸店に送り,代銀を幕府に預ける間,無利息で運用して利潤を得ていた(『日本橋街並み商業史』白石孝)。しかし為政者への密着度が高く,放漫経営に陥っていた井筒屋は,明治中期以降は生き残れなかった。

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